響け! 心に!!

なんで「響いたのか?」をしちめんどくさく考えてみる、メンドウな人の考察。アニメ中心考察予定です。

劇場版 響け!ユーフォ感想考察 届けたいメロディ~それは手が届かなくて~

 

  • この記事は、作品の具体的な内容に、深く、大きく関わります。

  「バレは困る!」という方は、残念ですが視聴後にご足労いただければ幸いです。

 

  • セリフはすべて聞き起こしです。

   間違いもあるかと思われますが、ご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・キラキラと輝く水面と青空に挟まれた、川を横断する水管橋のカット。

 

いきなりはじめから意味のないカットを入れるはずがありません。

一般的には冒頭のシーンとは、世界観の説明です。

 

前作、「北宇治高校吹奏楽部へようこそ」では、地獄のオルフェの演奏シーンでした。

ロボットものとか、カーレースのようにマシンが登場するなら、バトルシーンや整備の様子。

主人公の職業や立場がわかるものだったりするものです。

水管橋が舞台説明や状況、時代背景をあらわすものでもありませんよね。

 

楽器や音楽をあらわすものでもなく、主要な登場人物も映らない。

 

こうしたことから、これはテーマに関わる重要なカットです。

 

ラストシーンでも水管橋が登場します。

あすか先輩が、ユーフォを聞かせるシーンもここです。

 

 

 

水管橋を見上げるアングル。

ただ真っ直ぐに、こちらの岸から向こうの岸へと、水管が伸びているだけ。

向こう岸に本当に届いているのかは、真っ直ぐすぎて重なってしまい、見えていません。

 

「見上げる」転じて、幼いものから年長者へ向ける視点。

小さな子供とは、何を見るにも見上げなければなりません。

 

管(くだ)とは、送るものですから、何かを送る。

いえ、この作品ではタイトル通りに、「届ける」とすべきでしょう。

 

真っ直ぐでひたむきな想いを、誰かに届ける。

そうした物語だという、象徴でしょう。

 

 

 

・下校途中の小学生たち

 

水管橋に続き、やはり上の青空を見上げて枝を振り回すあすか。

 

どうやらあすかが友達を遊びに誘ってみるも、断られてしまったよう。

 

あすかと別れた2人の同級生の会話が、続いています。

2人のうしろ姿を見送るあすか。

 

「こんなおっきいカタツムリ」

「いないよ、そんなの」

 

あすか無しで続く会話。

 

本来は去った2人には意味がありませんから、すぐに切り替わって帰宅後のシーンに移るはずですね。

別れた小学生たちとは、メインの登場人物の幼少期ではありません。

これではシーンの無駄、尺の無駄です。

 

けれどもそうではなく、子供らしい会話がはっきりと、セリフとして聞こえてきます。

それはつまり、別れたはずのあすかの名残でしょう。

あすかのさびしさ、物足りなさを表現していると感じます。

別れたくない、帰りたくない、そんな気持ちでしょう。

 

 

 

・帰宅したあすか

 

とびきり大きな宅配便が届きます。

暇を持て余していたあすかは、送り主を見て開封してしまいました。

 

「しんどう……」

 

それは銀色の楽器で、ユーフォニアムというらしい。

あすか宛の手紙と、ノートもはいっていました。

 

 

 

・関西吹奏楽コンクール、控室にて

 

幼い頃の回想シーンから一転して、いきなり本番前の控室。

前作は府大会で終わりましたから、そこから関西大会までのあいだは、ばっさりと割愛されているようです。

 

「部長、何かありますか?」

 

滝先生に部長が指名されます。

その前に割り込んでの、あすかの言葉。

あすかの足元は、白。

 

「今の私の気持ちを正直に言うと、私はここで負けたくない」

 

驚く部長、驚く久美子のカットが続く。

 

「関西に来られてよかった、で終わりにしたくない。

 ここまで来た以上、何としても次へ進んで、北宇治の音を全国に響かせたい。

 だからみんな、これまでの練習の成果を今日、全部出し切って!」

 

珍しく自分から先頭にたって、他人にお願いするあすか。

いつも本音を見せないはずの、あすかの正直な気持ち。

それを間近で見てきた部長の晴香と、久美子は驚きの表情。

 

「あんなに楽しかった時間が、終わっちゃうんだよ。

ずっとこのまま夏が続けばいいのに」

 

前作のラスト、コンクール本番前。

あすかは久美子に、こう語っていました。

府大会でもう終わりといっていたのに、関西大会では終わりにしたくない。

 

さらに、麗奈と香織のどちらがソロにふさわしいか? について、「正直言って、心の底からどうでもいいよ」と言っていたことを考えると、彼女のスタンスの変化に大きな違和感を抱かずにいられません。

 

本音と冗談を混ぜるスタイルのあすかが、白い足元で、本心の言葉だけを口にする。

それはこれまでにない、珍しいシーン。

 

 

 

・関西吹奏楽コンクール、本番のシーン

 

 

 

・タイトルカット

 

 

 

・見上げる空のカット

 

航空機が空を滑る。

そのうしろに描く、2本の白い飛行機雲。

その雲は長く、真っ直ぐに、しっかりと伸びています。

 

それを見上げ、感心して声を漏らす久美子。

 

久美子にとっての、水管橋。

その先には、いったい誰がいるのだろうか?

 

冒頭、子供時代のあすかが登場する直前では水管橋を見上げるアングルのカットがありました。

この物語の主人公、久美子の、単独での登場シーンは学園祭です。

 

しかし、本番前にもかかわらず久美子の意識は明後日の方向。

にぎやかで、飾られて、楽しそうな学園祭ではなく、別のものを見ているのです。

それが大空に描かれる、飛行機雲(&飛行機)。

 

ここはわかりにくいが、最初のシーン、対岸へと真っ直ぐに伸びる水管橋を見上げるカットと組み合わせた構成になっていると思われます。

 

『水管橋』があすかにとっての象徴的シーンならば『飛行機雲』は久美子にとっての象徴的なシーンのはずです。

 

誰もが空にそれを見つけたとき、パッと目を引く、白く、長く、伸びる雲。

 

しかし、長く伸びる飛行機雲とは、ただそれだけでは存在できません。

自然現象で偶然にできたものではありませんからね。

そこには必ず、絶対に、先を飛ぶ『何か』があるはずなのです。

 

なので、次のように訂正しましょう。

 

『水管橋』があすかにとっての象徴的シーンならば、『飛行機とそのうしろに続く飛行機雲』は久美子にとっての象徴的なシーンのはず。

 

そうです。

久美子もまた、あすかとおなじように見上げています。

では、久美子は視線の先に、いったい誰を見上げているのでしょうか?

 

 

 

現実的に飛行機雲がこれほど長く、真っ直ぐに続くことはあまり見られないと思います。

時間と共に、あるいは風があれば、だんだんと最初の部分はボヤけていってしまいますよね。

けれどもアニメなら、制作者に意図があればその通りにつくり出すことができます。

実在する役者をつかい、現実の環境での撮影ではありません。

時間も、天候も、意味を込めようと思えば、どこまでもその意味を込めることができるはずです。

 

そしてそれを徹底して行っているのが、この作品だと思います。

 

 

 

また、『高低』もポイントだと思われます。

意識的に違いをつくろうという、意図が感じられます。

 

前作のあがた祭りでは、麗奈と久美子は上へと移動します。

祭り会場周辺の低い場所から、「大吉山の展望台?」へと登りました。

そこは祭りを楽しむ人々の賑わいとは、隔絶した場所です。

『新世界より』を孤独に吹いていた麗奈がいたのは、グランドを見下ろす高台

ソロパート争いで教室を飛び出した麗奈。

それを追った久美子。

合流した2人が向かったのも、高台です。

 

では文化祭はどうでしょうか。

どんどん訪れる来場者。

目的は北宇治高校です。

校内には出店があり、生徒や来場者でいっぱいです。

そんな中で、わざわざ上を見上げる人は誰もいません。

 

ただ、久美子1人を除いては。

 

久美子は本番前なのに練習するでもなく、集合場所へ急ぐこともなく……

文化祭にまつわるイベントや人々に興味関心を持たず、別のものを見上げているのです。

 

 

 

「久美子!

 こんなところにいた。

 本番!」

 

麗奈が久美子を探し、呼びに来ます。

 

「すぐどっか行くんだから」

「何それ?

 子供じゃないし」

「いまのが子供っぽい」

「じゃあ、麗奈は大人っぽい」

「なんかムカつく」

 

絡んでくる麗奈と、絡まれる久美子

相変わらず特別な2人。

ここの会話は自然ですが、あえて麗奈に久美子が「子供っぽい」と言わせているように思われます。

 

麗奈は久美子を呼びに来ました。

そしてタッチをして立ち去ります。

 

「じゃあ、あとでね」

 

今回は前作の映画の『特別』とは違う話なので、ここで退場します。

久美子を舞台へと呼び、これから新しい物語がはじまるよ、そう告げて麗奈は去っていく。

 

そして今回のメインキャストが、入れ替わりでやって来るのです。