劇場版 響け!ユーフォ感想考察 届けたいメロディ まずはじめに一言
- この記事は、作品の具体的な内容に、深く、大きく関わります。
「バレは困る!」という方は、残念ですが視聴後にご足労いただければ幸いです。
- セリフはすべて聞き起こしです。
間違いもあるかと思われますが、ご容赦ください。
はじめに
あすかにとってユーフォニアムは、父親との唯一のつながり。
会わせない母親が阻止できなかった、父とのつながり。
それは母親、あるいはあすか以外の家族が不在だったから、届いてしまったものです。
あすかの母親の職員室での様子、久美子に語った話などからすると、以後の郵便は局留にするなど、父と娘の関係を阻むため、あすかの母親はさまざまな努力をしているのではないかと思われます。
あすかにとってユーフォが好きとは、父親への想いそのもの。
ユーフォニアムを吹くとは、父親との会話なのです。
それは、日常で『母親の望むいい子でいる』ことを要求され続けるあすかにとっての、逃げ場であり、癒しの場。
だから、はっきりとユーフォを『好き』と口にできるのです。
その『好き』はただ一方的なあすかの思いで、そこに居ない相手には、決して届くことのないもの。
しかし、想像でしか成立しない『好き』ではありますが、いいこともあります。
そこにはリアルタイムな感情の流れは存在しません。
すべての問いかけと答え、憧れも空想も、あすかの中でだけで完結します。
父親の顔も言葉も考えも、あすかのイメージするもの。
それは主人公の久美子とは、まったく異なるシチュエーション。
相手が言葉を返さないし、掛けてこない(これない)。
そこには特別な喜び、共通体験や祝福もありません。
けれども逆に、勘違いや行き違い、喧嘩に裏切りもなければ、決別することもないのです。
劇的な感情の変化や、葛藤も存在しようがないのです。
たとえば黄前家における、写真に収められた幸せな一家の様子であるとか、麻美子と久美子のやりとり、麻美子と父親の言い争い。
そうしたことは、そこにいない人間とのあいだでは起こりません。
あすかにとってユーフォニアムを辞める、手放すということは、父とのつながりを捨てることです。
だからそれは、どうしても守られなければならないものです。
『好き』か?
『嫌い』か?
そんなことは問題ではありません。
なぜならそれは選ぶものではなく、ただただ『好き』しか存在しないのです。
問題として成立しないことです。
では、久美子はどうか?
久美子にとってのユーフォニアムが表すもの。
それは演奏や吹奏楽ではなく、この物語においては姉である麻美子のこと。
あと1年で卒業でありながら、今すぐ辞めて美容師の道に進みたいと、家族に爆弾を投げ込む姉のことです。
久美子にとって、ユーフォニアムをはじめたキッカケとは、姉への憧れです。
姉に憧れ、「一緒に吹きたい」という想いではじめたもの。
久美子はあすかに「黄前ちゃん、ユーフォ好き?」と問われます。
小学生ではじめてから高1のいまに至るまで、ずーっと長いこと吹き続けているはずなのに、久美子は好きと言えません。
それは理由があるからです。
好きと言えない理由が、あるのです。
この物語のスタート時点における姉妹関係とは、断絶しています。
姉が大学を辞めたいと意志を示したとき、久美子の反応とはどうだったでしょうか?
もったいないと呆れ、心配する
姉のやりたいことを応援し、励ます。
どうしてなのか理由を聞いて、それを理解しようと努める。
言い争う両親と姉の間を、どうにか取り持とうとする。
……
…
いずれでもありません。
黄前久美子が示したものとは……
強い口調での避難でした。
それは明確な怒りの感情。
かつて姉がトロンボーンを辞めたこと……
それは久美子にとって、裏切りに等しいものだったのでしょう。
納得いく説明もなく、理由を聞く久美子は邪険にされただけでした。
そのときの気持ちの整理がずっと長い間、つけられずにいる久美子。
一方で当時の姉にも、説明しようがなかったのです。
だって、辞めたくなかったのだから。
小学生の久美子に対して、自分自身が納得していないことを、どうしてわかりやすく説明できるでしょうか?
それは仕方のないことだったのです。
けれども目を輝かせ、姉に憧れて楽器をはじめた久美子には、姉に見捨てられたような気がしたに違いありません。
ユーフォニアムが好き。
それは父とのつながり。
ただ真っ直ぐにもち続けた想い。
ユーフォニアムが好き???
それは姉とのつながり。
近づき、追いかけ……
しかしいま、それは失われて……