劇場版 響け!ユーフォ感想考察 届けたいメロディ~田中家で問題を解いてわかったこと~
- この記事は、作品の具体的な内容に、深く、大きく関わります。
「バレは困る!」という方は、残念ですが視聴後にご足労いただければ幸いです。
- セリフはすべて聞き起こしです。
間違いもあるかと思われますが、ご容赦ください。
ところであすかは、どうして久美子を自宅に呼んだのでしょうか?
数学がヤバそうだから?
それはそうですが、建前でしょう。
話がしたかった。
たしかにそう言っています。
ではなぜ、あすかは久美子に話がしたかったのでしょうか?
そこには『期待があったから』だと考えます。
その期待とは、励まし、支え、勇気づけ……
このような期待があったのではないでしょうか?
かつての京都府吹奏楽コンクールにて、あすかは久美子に「これで終わり」にさせてもらえませんでした。
・本番前のステージ上
「あんなに楽しかった時間が、終わっちゃうんだよ。
ずっとこのまま夏が続けばいいのに」
表情に影があり、伏し目がちな先輩、田中あすか。
もう終わり。
そうはしたくない。
けれどもコンクールで選ばれず、部活動を終わらせられてしまうなら、それは仕方がない。
1人、終わりにするための言い訳を探し求める、あすか。
「何言ってるんですか、今日が最後じゃないですよ。
私たちは全国に行くんですから」
そう言ってのける久美子。
あすかはいま、難しい状況に追い込まれています。
自分の意志を貫くことは難しく、さりとて簡単にはあきらめられない。
母親の壁は大きく、かといって「借り」もあるので、強引に突破することもできないし、したくない。
そんな状況です。
だから意識してか、あるいは潜在的な意識のなかでか、久美子の言葉、行動、存在といったものを求めたのです。
あすかは久美子に言いました。
父の曲をコテンパンにしてもらいたかったのかも、と。
それが本心の言葉のはずがありません。
あの曲とは、ずっと追いかけてきた父そのものです。
そこには『期待』があります。
そしてやはり、久美子は否定などしません。
潜在的なあすかの期待に応えて、『大好きです』と言ってくれるのです。
自分の決断ではなく、誰かに、周囲に終わらせられるということ。
それなら仕方ない。
そんなあすかの気持ち。
でも、久美子はそうはさせないのです。
府大会のステージでの、「今日が最後じゃないですよ」という言葉とおなじように……
古い日本家屋のあすかの家においても、「大好き」で「ずっと聞いていたいです。いま、吹いて欲しいくらい!」と言い、ユーフォニアムを響かせることを辞めさせないのです。
コンクールが関西、全国と続いたように、結果としてここでも送水管の元へと引っ張り出し、ユーフォニアムを響かせろと要求するのです。
それこそまさに、このときのあすかが求めていたことではないかと思うのです。
この田中家で数学を解くシーンでは、問題の1つが解かれました。
文化祭以降、気になって集中できない理由の1つ、『あすか先輩はわからない』という難問が解明されました。
あすかがユーフォニアムを始めた経緯を整理してみれば、文化祭でのセリフのやりとりの謎が解けます。
「先輩は本当に好きなんですね、吹奏楽」
「んー、そこはどうかな?
黄前ちゃん、ユーフォ好き?」
「えーっと。
改めて聞かれると、怖気づくというか、なんというか」
「私はね、好きなんだよ。
コンクールなんてどうでもいいって思えるくらい」
また、麗奈はあすかを評して、電車の中で久美子にこう語りました。
『どちらかと言えば自分が吹ければいい、みたいな感じだったし』
その答えは、まさにその通りでした。
『私は遊びでやってるわけじゃない。一人で吹ければそれでいい』、ということだったのです。
あすかにとってユーフォニアム(ノートとパンフレットも合わせ)は、唯一の父親の贈り物です。
あの職員室での母親を見れば、ほかに何一つないであろうことはカンタンに想像できます。
ユーフォニアムを辞める。
吹かない。
手放す。
それはすなわち、父親との別れ。
そしてそれだけではありません。
あすかは母親を評して、こういっています。
「あのひと、ちょっとおかしいから」
「借りはあるから返さなきゃ」
「枷ね。一生外せない枷」
好きとか嫌いとか、感情的なわだかまりが解決せず、限界ラインを越えたとき……
人はあきらめます。
伝えても……
話し合っても……
喧嘩をしても……
分かり合えなければ、残念ながらいつか、それを無理だと受け入れるしかありません。
そうでなければ感情の葛藤状況が続き、大変なストレスです。
高校生のあすかにとって、これまでに何度も何度も、そう思わされることが繰り返されてきています。
職員室のやりとりで、あすかの辞めたくないという意志は、『出る杭は打たれる』のように引っぱたかれて無かったことにされます。
そしてそれは、『私っ、また…… カッとしちゃって』と、何度も繰り返されてきているのです。
やはり、分かり合えなければ、あきらめるよりありません。
もちろん自立した他者同士であれば、離れて距離をとったり、所属するコミュニティを変えたりして、相手と関わらないようにすることも可能です。
しかし相手は自分の母親で、あすかはその母親の子供です。
それはとても近く、濃い関係。
子供が一人で生きられるはずなどなく、さらには父親との接触を懸命に排除する母親ですから、あすかが生存するコミュニティを変えることなどできません。
この状況に直面したあすかが、好き嫌いでどうにかできるような自由はとてもありません。
幼いあすかは、目の前の事実を受け入れるしかなかったはずです。
ですがそうした中で、なんとかこれだけはと、必死に守り通してきたのです。
母に『当てつけ』だと言われようと、意地でここまで守ってきたのです。
『私は遊びでやってるわけじゃない』
ユーフォニアムとは父そのものであり、父との会話であり、日常における母親からの逃げ場であり、癒しであり……
あすかにとって、ユーフォニアムを吹くことのできる環境を守るということは、何よりも優先される重大事項なのです。
学校という母から隠れられる場所で、思いっきり父を抱きしめられる部活という時間。
それはソロが誰であっても、関係ないことです。
コンクールに出るかどうかも、全国を目指すかどうかも、関係のないことです。
(先の大会に進めば多少のモラトリアム的延長はありますが……)
父と娘。
ユーフォニアムを吹くという大きな意味の前では、すべてはささいなことに過ぎなかったのです。
あすかの行動原理とは、これまでずっと変わることなく、父からのユーフォを守ることでした。
そのためには母親を黙らせる材料である学業にも、相当な時間、努力、結果が必要だったのです。
ユーフォニアムがまさしく、あすかにとって最愛の肉親をあらわすものであるなら……
それはつまり、だれがソロパートを吹くかということより、コンクールより、大事で当然です。
人間はモノに想いを投影します。
結婚指輪。
合格や安全、出産のお守り。
他人から見ればただのガラクタでも、捨てられない思い出の詰まった宝物。
あすかにとって、まだ見ぬ理想の父、ユーフォニアム奏者の父とは遠い憧れだったのです。
何度取り上げられそうになっても手離さず、大事にしてきました。
そしていま、存在しないはずだった父の姿が……
その手が届くところに現れてしまったのです。
それはあすかにとって、予想もしないことでした。
まさかの期待に、その姿を追いかけ、憧れるあすか。
その想いは大きく膨らみ、冒頭の関西大会の言葉となってこぼれたのです。
滝先生に部長が指名されます。
その前に割り込んでの、あすかの言葉。
あすかの足元は、白。
「今の私の気持ちを正直に言うと、私はここで負けたくない」
驚く部長、驚く久美子のカットが続く。
「関西に来られてよかった、で終わりにしたくない。
ここまで来た以上、何としても次へ進んで、北宇治の音を全国に響かせたい。
だからみんな、これまでの練習の成果を今日、全部出し切って!」
珍しく自分から先頭にたって、他人にお願いするあすか。
いつも本音を見せないはずの、あすかの正直な気持ち。
それを間近で見てきた部長の晴香と、久美子は驚きの表情。
部に戻らない、戻れないあすか。
その想いは、果たして届けられるのでしょうか?
全国大会のその日、名古屋で……